昭和49年10月28日 朝の御理解



 御理解 第8節
 「子供の中にくずの子があれば、それがかわいいのが親の心じゃ。不信心者ほど神は かわいい。信心しておかげを受けてくれよ。」

 昨日遅くでしたけれども、テレビを見よりましたらちょうど四、五歳ぐらいな子供のお葬儀の場面だっただろうと思うんです。祭壇が盛ってあって写真が飾ってある。その写真の横に、ぬいぐるみの大きな熊が飾ってある。恐らくその子供が生前その熊を大変愛したんでしょう。それを大変喜んでオモチャにしたんでしょう。それが一緒に飾ってあるのを見たら、私は写真の顔を見るよりも、その熊の顔を見せて頂いたらえらい感動した。どう言う事だろうかと。子供が愛した子供が好きであったものを、そばに置いてあるものを見たら、なにか感動が湧いてきた。
 例えば霊祭なんかを仕えます時に、その霊神様が生前大変酒をたしなまれる。大変酒を喜ばれた。それで遺族の者が燗酒にして、生前好んでおった酒の肴どもみつくろって、お膳部を作ってお供えを致します。皆さんもそんな体験があるでしょう。御霊様よりも酒が出てくる途端に、感動する事があるでしょう。はぁほんにあっちはお酒が好きじゃったがと。その酒にその燗酒又はそのお膳部に感動する。
 そういう様なもんじゃないかと思うですね。五つ六つの人が亡くなった。その人が大変可愛がっておった、熊の縫いぐるみが上に祭壇に上げてあった。その熊を見た途端に私は感動したと言うのも、そう言う様な事じゃないかと思う。そこでなんですけれども不信心者ほど神は可愛いとこう仰る。信心は日々の改まりと言われるですから。色々改まりに改まる事を心掛けます。何でも良いですけれども、お酒ならお酒の好きな人がです。自分はこんな事しよったらお酒に命をとられると。
 と言う事に思いますけれども。好きなものですから中々止められん。好きなものば飲んだり食べたりしてから、死ぬなら良かとさえ思うくらい。だからそれでは確かにそれに命を取られるです。例えば好きなものをです本当に喜んで頂くというか、酒の好きな方なんかにちょっと思いがけない時に、お酒を一杯出すとそりゃもうそれこそ満面に笑みをたたえて、ニコッとして嬉しそうな顔をしますよね。何でも同じこと。自分の好きなものが目の前に出てくると、ニコッとしようごとあるのです。
 けれどもそれで命を取られると分かりながら、それを止められない所に人間の言うなら、業のようなものを感じますですね。私は思うのに天地の親神様は、本当に好きなものをその人が愛しておる、その人が好んでおる。それを頂く時に本当にそれこそ、ニコッとして頂くという姿をご覧になる時に、神様は喜んで下さると思うですね大体は。けれどもこれが命取りになる。こげなことじゃおかげは頂ききらんと思う心が、おかげを頂ききらんのです。そこには神が可愛いという心の働きというものが無くなるです。
 そこでどう言う事になるかというとです。御の字がつけられる、例えばお酒が好きなら御酒、お神酒として頂けれるおかげを頂いたらね。これは命取りにはならんです。むしろ神様も喜んで下さる。好きなものを取り上げるのが親じゃないです。例えば好きなものでも少しずつ食べるとか、少しずつ頂くとかと言う様な、節食すると言うかね。そう言う様な意味ではなくてです。だからここはどう言う事かと言うと、私は悟りだと思うです。そんなら例えば酒の好きな人がですよ。
 そしてその酒の為に胃腸を壊して、例えばこの酒が命取りになるかも知れんというほどしの人がですよ。ほんなら今日からいっちょ酒ば頂く時には、御酒とお神酒と思うて頂くぐらいな事じゃいかんとです。それを本当御の字をつけなければ、おられないほどしのものを悟った時なんです。それは許されしかもそれはおかげの元にしかならんです。昨日福岡から、松岡さんのご親戚の方が、以前にお参りに来てお願いもう私は忘れておった。ソコヒで片一方の目が見えなくなってきよるのです。
 片一方の目が見えとるけんで片一方の目に、一生懸命お礼ば言いなさいと。今までああた目の見えよる事にお礼を言うた事もなかった。目が見えんごつなったから改めて片一方の目が見える事が有難い事が分かったじゃないの。有難いと思うたらお礼を申しときなさい。片一方の目の事は私がお願いすると言うて。それ非常に感動されたですそん時に。信心のないとは言いながら、本当自分の困った事ばっかりを言うておる。
 自分の難儀な事だけを神様に助けて下さい、おかげ下さいと言うておる。だから片一方のほうの目ん玉が見えよるとじゃけん。その事をしっかりお礼を言いなさい。片一方の目ん玉の事は、私がお願いする。先生あなたがあげん言うて頂きよったが。あれから段々視力が出てきてから、こげんおかげ頂くごつなりましたと言うて、昨日お礼に出てきました。目のお医者さんもたまがっておった。
 とうとう手術せんなりおかげ頂いておる。これなんかは私はちょっとした、悟りだと思うですね。本当にお礼を申し上げると言う事が、如何に神様に通うかと言う事です。そこに神様の可愛いという心が動いてくるのです。ただ人情というか凡情というか。自分の子供のなかに出来損なうたつが居ると、矢張り親としてはそれが可愛い。だからそれがちょこっとでも、親の喜ぶ様な安心する様な事に方向を変えると、もう親としては大変な喜びである。私共は先ずは、くずの子の自覚というか。
 そこから確かに神様の可愛いいという心が出来てくる。そういう働きが生まれてくる。結局信心は自分を知る事、自分を見る事と言われておる様に、自分を見れば見るほどに自分を知れば知るほどに、とにかく恥ずかしい私汚い私。そういう自分というものが分かってくれば来るほどです。私は神様の愛の心が動いてくると思う。可愛いという心が動いてくる。矢張り自覚が出来るです。本当に自分自身の姿が見えてくる所から、屑の子の自覚が生まれてくる。そして私の様な者がと言うそこにです。
 私は屑の子ほど可愛いというのは、そういう風に頂くべきなのでしょう。それを例えば一つの人情的に説きますと、屑の子があれば屑の子が可愛いのが親の心だと言われます。けれども信心ではです。屑の子の自覚に立ったものほど、神が可愛いいと言う事になって来る。だから信心しておかげを受けてくれよとこういう事。信心すると言う事は愈々自分が分かってくる。好きなものがある。
 はぁこう言う事では、自分はおかげを頂ききらん。このために命を取られるかも知れん。そう言う様な頂き方では本気で改まらない限り、おかげは受けられない。金光様の信心は言うなら大きい。それをですほんならその好きなものに、御の字をつけさせて頂けれるほどしの信心が出来たらですおかげが受けられる。好きなものを止める事は要らんと言うて形だけ今日酒だけの例を取っておりますけれども。その酒に今夜からは御酒と思うて頂こうと言う様な事ではないのです。悟りなんです。
 本当に神様のご恩恵のものとしてです。本当にそれが翻然として来た時に、その事に御の字を付けなければおられない。今まで毒と思うておった物が、言うなら変じて薬になるおかげになる。勿論これは御の字をつけるほどしですから。例えば今まで大酒大食しておった人もです。御の字が付けられるようになったら、例えばそういう大酒大食は、自ずと出来なくなってくるです。
 ただ有難いの一念だけになって来ると。それこそ御の字を付けるようになったら、ガブガブ飲んでも良いと言う事ではなく、ここはもう理屈じゃないです。御の字が付けられるようになったら、それが適当のものを頂いて、それが有難いと言う事になって来る。そういうです私は好きなものが、例えば私が昨夜感じた、子供さんの亡くなった写真の横に、その子供が好きであったであろう熊の縫いぐるみが置いてあった。
 その縫いぐるみを見て感動した様に、お酒を頂く時に神様がね恐らく本当に、ニコニコとした嬉しそうな顔よと思うて、神様も一緒に喜んで下さると思うです。そういうおかげを頂きたい。今日私は屑の子と言う事の、二つの面を聞いて頂いた積りです。結局信心しておかげを受けてくれよ。どちらも信心が進んでいかなければです気付かない。又は悟りも開けない。そこから神の愛を一心と思われるほどしのおかげが、頂けてくる様になる。片一方の目が見える。
 本当に片一方のほうのが見えなくなったと言う事だけを、苦にしておった人が永年使うてきた、片一方の目に御礼が言えれるようになった。途端に感動が湧いてきた。ほんにそうだったと思うた。そして片一方のほうは、親先生にお任せをした。ただ片一方の見えることだけを、お礼の対象にすると言う様な生き方。そこから手術しなければならない目も、手術せんで段々視力が出てくると言う程しのおかげにまで繋がる様に。信心しておかげを受けてくれよ。そのおかげを受けると言う事が、神様の願いです。
 どうでしょうか、私どもが好きなものを頂いておる時にです。本当にニコニコで頂いておると致しましょうか。それをね親神様がご覧になって、喜びなさらん筈がない。あん奴が、また好きな事しよるとか。また好きなものを食べよると。もう好きなものなら与えたいのが親心です。ただしそれをこげなもんばしよったり、こげなもんば食べよったり、飲みよったりしよったら、これが命取りになるかも知れん。これがおかげ落としの元になるかも知れんというものがあるから、そう言う事になるのです。
 そこでその事に御の字が付けられる。所謂信心してと言う事は、その事に御の字が付けられるおかげ。頂けたらそれはおかげ落とし所でもない、命取りでもない。むしろ神様が目を細めて喜んで下さるようなです。信心共に下さった神様とそれを頂く氏子とがです。喜び合うていけれる様な世界まで、そこから開けて来る程しの事なのです。神のかわいいと思う心。又は屑の子ほど可愛いという道理。その事を今日は聞いて頂きましたね。
   どうぞ。